aoisoraとは

 フライトはプライベートライセンス、これはまだまだ通過点。
でもこちらはコマーシャル。そのレベルはトップガン???

 aoisoraとは? だれなのか??? 
 その質問にそろそろ答えよう。aoisoraの説明をしよう。皆様の熱いご希望に応えて!
次の写真を見て頂きたい。エリートでもスーパーマンでもない。フツーの青年であった事が分かるだろう。
・・・・・しいて言えば・・・そう少し熱っぽいだけだ。


 1972
  アレキサンダーシュライハーASK13

  読売学連、栗橋にて大学生を思い切りやるための第一弾 憧れの空の世界へ!
当時学連は多摩川よりここ栗橋に着たばかり、やる事は無限にあった。
旗振り、リトリブ、整地、 etc etc  今と違い土日の2日間必死に作業しても搭乗できない日もある。 
ひんぱんにキンク、索切れ、ポンコツのウインチはすぐ壊れる、パワーのないリトリブトヨエースは河川敷では、まともに走らない・・・全員で協力してやる。・・・だからグライダーはスポーツ航空なのだ。
しかし・・・大学生を思い切りやるためにもう一つクラブに入っていたのだ。体育会の山のクラブだ。しかしとても両方は出来ない・・・合宿は重なるし、費用もかかるし、・・・結論から言って空は挫折!学内のクラブが優先した。





           

1973
 こちら山のクラブ バリバリの大学の体育会だ。
左、中 初めての単独行、残雪の穂高連峰、北穂高岳山頂。 後ろに前穂、U峰、V峰"単独行の加藤文太郎” (新田次郎著、孤高の人)に憧れ自分の力を試すため、初めての単独行!
大学2年の時だった、1シーズン経験して胸の高鳴りがどうしようもなく、穂高が呼んでいた。
横尾から先は全部残雪だ。低気圧が通過すればドカ雪になる。一人でどうする?・・・正直言って夜行の急行アルプス号の車内では単独行の希望と恐怖で寝られなかった。・・・・・でもカモシカの足を試してみたかった!
右 山の仲間達
写真の1番左のS先輩、怖かった。バテバテで倒れこむと「キサマ! 俺をなめているのかー!倒れる時はいつも決まって山側じゃあねぇーか。本当にバテテ倒れるなら谷側だってあるだろー!」 「・・・・・そうかな〜??? ☆∽♂ 」 「ふざけるなー!」・・・・・すると往復ピンタの3連発コースだった。
後々このS先輩は南極観測隊の西堀栄三郎氏の話をしたり、何かと力になって下さり、だだのキックの鬼ではなかった。当時は週に2回10kmマラソンをはじめ厳しいトレーニングがあり『温室育ち』の自分にはこれは本当につらかった。自分で勝手に選んだ道とは言え、クラブにも入らずフラフラしている同級生がうらやましく見えた。72のキスリングで1年生30kg、2年生40kgの荷物。当時あれだけトレーニングして1日に2合の米を毎日食べても体重は52kg以上増えなかった。40kg荷物とは体重の80%になる。さすがにこのペイロードでの山行はつらかった。航空機で言えば最大離陸重量で、気温の高い夏場でしかも高地での離陸と同じできびしい。
 しかし体育会のクラブだからこれだけ自分を追求出来たので、これが自由を基本とする同好会や社会人クラブでは今の自分の存在はない。実際当時このクラブのテントの設営一つみても、「設営時間」と「張りの美しさ」には定評があった。またザックを背負ったまま電車に乗ろうとすれば、先輩にその場で「一般の方に迷惑をかけるな!」と激しく注意されたものだ。合宿中たくさんの個人山行の方とすれ違うが、レベルの高い人はわずかで自称ベテランのほとんどは誰にも教育されていない聞く耳を持たない問題の多い人ばかりだ。そうだろう絶対濡らしてはならないシュラフを丸めてザックの上にむき出しのまま縛り付けるなど考えられない。しかしこの種の話は次に話す乗馬の世界も、悲しいかなこの航空の世界も同様だ。
 当時の自分はクラブの合宿を含め年間山日数100日を目標にしていた。
 この体育系のクラブを通して知った山の経験が、後の自分の人生に大いなる財産となった。
今のダンディの私?からは想像できない世界だろう。






 1981
 独立! 事業のため八ヶ岳へ

 これまた自分の力を試すため、妻と2人で八ヶ岳、大泉村に永住。
乗馬クラブのオーナーのご好意により乗馬にもチャレンジ。
これも今の自分からは想像しにくいが、かなりワイルドで、落馬の恐怖、勇気、馬との戦い!面白いスポーツだ。ローカルながらバレルレース(並べたドラム缶を早く回るレース。コース取りと、はやる馬のコントロールが基本)、ジムカーナ(柵、ドア、クランク、牧場の馬の訓練度を見るレース)ともに2位になったこともある。またある時は障害飛越で高さ1mをどうしても飛ばせたい馬がいて手綱を短く持ち、思い切り気迫をこめて拍車を入れたら馬が怒って後ろ足を上げ自分だけ飛び空中で半回転して背中から丸太に落ちてしばらくのびていた事もあった。真剣に馬を所有しようと考えた事も有り、10年間夢中だった。








 1991
 動悸、息切れ、めまい ???

 どうしても空への想いが病まず40歳にして再び大空にチャレンジ!
航空身体検査でだめなら、あきらめもつく。わざと県内で一番きびしいK病院へ、日本の航空身体検査は世界1の基準だ。結果は見事クリアー!途中イロイロあったが1995 CAB C`K OK。  担当 S教官のおかげだ。彼は温和で律儀、卓越した操縦技術、底知れぬ理論、上空はもちろん地上においても日本1の教官であると今でも考えている。  
 実際ASK13で彼の得意のシークエンス「逆キューバンエイト」の滑らかで優雅な大空の舞! その美しさは誰もが感動するだろう。
 それにしても S教官との出逢いは運命的である。20年前に栗橋でお世話になってから全くその間音信不通だったのが、ここ山梨に場所を移しまた訓練できるなんて!『教官! ぐずでのろまなカメ?をここまで教育して頂き、深く深く感謝しています』 それに小型機、グライダー、航空気象、航空全般とにかく詳しく、私の鋭い質問にその場で即答。
本当に頭が下がる。
 彼は風との対話、グライダーが生きがいなのだ。











     ↓本業のホテル
 2021
 aoisoraとはホテルのオーナー

 1981より現在までこの八ヶ岳、北杜市(旧大泉村)にあるホテルのオーナー。
思えば35年前、理想の仕事として妻とたった2人で長年住みなれた東京から永住の地としてここを選び、「絶対に戻らない!」と強い決心。それは夢と希望に満ちあふれてアメリカ大陸に出発した自分達のメイフラワー号。それはゼロからの出発、この40年間楽に過ごした夏などただの1度もない。
これをよく世間で「脱サラ」というが、脱サラとはもっと軽いノリの仕事でホテルになれば完全な事業。
「旅、料理、ワイン」をこよなく愛する私が生涯の仕事として妻と2人で人生を駆けた。
だから料理は毎日気持ちを込めた創作フランス料理。宇宙人みたいなパートやアルバイトなどいない。全て自分でサービスする宿の職人。
 という訳でホテルは業を成していて、パイロットの考えがあちらこちらに見られる。天然車海老や国産和牛・黒毛和種ファイレ等、現在日本で入手できるの最高の食材を惜しげもなく使用。さらに数年前から「宿泊は、大人のお客様限定」とさせて頂き、たくさんお仕事をした実年の皆様と創作フランス料理と共に楽しい一時を過ごせるホテルになりました。








 
 「なぜ飛ぶのですか?」と聞かれたら、「そこに空があるから!」それもYES。・・・・・「1人空に上がれば何をしても自由だ。それにB747もファルケも同格だ。
ある程度の年齢になると、その社会的地位から意見が通り謙虚な姿勢が薄れる。または自分が見えにくい。そんな驕った考えはこの空の世界が簡単に打ち砕いてくれる。なぜなら上空ではたった1つの地球物理の法則が支配し、常にそれが絶対なのだ。故に自己の無力を思い知る事になる。
・・・・・・・だから空は素晴らしい。」







 本格的モーターグライダーHP 『青い空から』いかがでしたか?
今回はかなり長いフライトでした。機長のHP製作45日です。
自分にはもう遅いとか、無理とか・・・でも・・・だから・・・と小さく決めていませんか?
青い空には無限の可能性があります。
多くの方が大空にチャレンジされることを希望します。
aoisoraは出来る限りサポートしましょう。
フライトシミュレータにはない地球の中の自分を知る事になるでしょう。
次は大空でお逢いしましょう。
さらに良いHPにするため感想、質問お聞きします。

  

         aoisora